GAMAKOの生い立ち

私GAMAKOは、父・母・兄・私GAMAKO・妹の5人家族で、父方の祖母(父の母)と同居していました。

我が家はDV(暴力・暴言を母にする)の父を持ち、物心ついた時から、父に怯えて生活をするような家庭でした。

父は私たち兄妹に手を出すような事はなかったのですが、キレどころが全く分からなかったので、楽しく過ごしていたとしても、突然怒鳴り出したりする事はしょっちゅうでした。

それは家族でお出掛けに行ったとしても変わらず、父がキレて「帰る!」となれば中断して帰る事もあったり、また大勢の人がいてもお構いなしに、大声出してキレたりする事もありました。

周りから変な目で見られ、恥ずかしい思いもよくしたものです。

普段の生活でも、父の歩く音、家の門を開ける音で、キレてるかキレてないかが分かったくらい、張り詰めた日常を送っていました。

夜、寝た後、突然怒鳴り声が聞こえ、母を殴る蹴るの日もあったりで、それが朝方まで収まらない事もあり、寝ずに学校に行ったりもしました。

また寒い日にまだ小さかった妹と祖母以外の、母・兄・私で外に出された事も。

ここでは書き切れないほどの経験をしたのです。

そして成長と共に私たち兄妹は、父が母に暴力を振るってる時は、止めに入って、母を守ることが増えていき、今では本当に逮捕ものですが、暴力振るったり、包丁が出たりと、非常にやばかった事も本当に多かったです。

父は母にしか暴力を振るいませんでしたが、やはり止めに入るとドサクサに紛れて父のパンチが唇に当たって、流血したこともあり、腫れ上がった唇をマスクで隠しながら学校に行ったこともありました。

昔は風邪っぽい時だけマスクする時代でしたから、風邪っぽくもないのにマスクをして登校すると、まぁ友達から聞かれたもので・・・。

しかも、家の前は通学路になっていた為、家で揉めごとあると外に丸聞こえ!

何もなかったように登校していた私は、友達によく面白がって聞かれたものです。

ご近所の人たちも、聞きたくてしょうがないって感じで、私たち家族をジロジロ見てました。

そりゃー聞きたいですよね・・・

こんな環境で育ったものですから、ちょっとやそっとの揉めごとは自分の中でうまく処理して生活していたと思います。

なので、昔の記憶はほとんど、すっ飛んでます。

兄や妹から、「こんなことあったよね?」「あんなことあったよね?」と言われても、思い出せないのです。

「ホント覚えてないこと、多いよね!」と驚かれてます。

そんな中でも、楽しい事もありましたが、まぁ私自身も学生時代は本当にいろいろありました。

私の学生時代の話はまた、別で書きたいと思います。

そんな家庭に育ったGAMAKOでした。

延々に書ける内容多すぎて、この辺でストップします。

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